月へ帰る日

地球での出来事

安達としまむら 10巻までの感想2

ライトノベル版 「安達としまむら」を10巻まで読んだ感想のつづき

今回は勝手に映像化の希望を

 

まずはアニメの2シーズン目を是非やって欲しい! 1シーズン目が悪いとは言わないが、あくまであれは「あだしま」の取っ掛かり、序章と言ったところなので、本格的なあだしまの世界を映像化し多くの人に見て貰いたい。と言うか私が見たい。

実際にもう1シーズンやるとするとどこまでかな?やはり山場は安達との花火大会だとして、という事はほぼ2年の夏休みで1シーズンでも良い感じかな? あの夏休みはいろいろ盛沢山だった。安達は安達化を加速し、しまむらは自分と向き合い変わっていった夏。

あの夏を1シリーズじっくりとやって欲しい。そんなにユリユリしなくても良いので(まだしないか)、中盤までは安達としまむらの内面と心情を丁寧に描写して欲しい。樽見の表情や仕草なんかも押さえて欲しい。そしてあだしまの花火大会で盛り上がりもクライマックス。その回は特別エンディングで。

ただその後の安達としまむらの関係の変化も少しはないと寂しい気がするので、後日談として、修学旅行の霧の中のシーンなんかを上手く切り取って最後に持ってきて終了ってな感じでどうだろう?

まあ内容は勝手に盛り上がっているだけで恥ずかしいが、この辺りまでやると1期と違ったあだしまの魅力が表現されるのではないだろうか。

2期アニメ化してくれないかなぁ

アニメ化したら安達の無限電話のくだりでどれだけ尺とるのかなぁ?

 

 

そしてもうひとつ

樽見しまむら」の映像化を!

 

いつかは樽見との関係に何らかの決着がつくとは思っていたけど、とうとう10巻でその時が来てしまった。

10巻のたるちゃん余りに切ない。切なすぎる。(あれを書き切った入間先生に完全にやられてしまった)

 

あの章を読んだ後すぐに次の章にはいけなかった。しばらく切なさの余韻に浸りぼーっとした後、もう一度深夜の樽見からの電話から読み返し、次にたるちゃんとおにくのながふじで再開してからの一連の絡みを全部読み返し、(気分的には私も一緒に)再度河原まで行ってみた。1回目に読んだ時には拾いきれなかった感情を見付け更に切なくなる。

樽見はただただ切なく、しまむらも切なく悲しい。誰も悪くないのに、何も間違えてないのに、むしろ各々が自分の出来ることを出来る範囲で頑張ったのに、あんな切ない結末になってしまう。そして樽見とは何回やっても、何をどう頑張っても、同じ結果にしかならない。それが「うんめー」だから。切ない・・・

体育館であだしまが出会わなかった世界と、あと3日で地球が滅びる世界、そして地球人と宇宙人の世界のエピソード。あれを読んだ時は安達としまむらの「うんめー」はとても素敵だなって思ったのに、その「うんめー」のせいで、樽見はどうしたって報われないことが絶対的に確定してしまった。素敵な世界と残酷な世界は表裏一体。

樽見樽見らしく頑張った。最後まで樽見らしかった。いいやつだった。

しまむらは潔かった。面倒くささを捨て、きちんと自分とも樽見とも安達への気持ちとも正面から向き合った。優しさ故に優しくできなかったが最善を尽くした。

表現力が無いのが何とももどかしいが、情景もセリフも心情もすべて、ただただ切なかった。

 

で、この「樽見しまむらの」エピソードだけで十分魅力的な映像作品ができると思うので、こちらも映像化して欲しくてたまらない。尺としては映画サイズで丁度良いと思うので、できれば映画、もしくはOVAでも良いので見たい。

イメージとしては「リズと青い鳥」を最初に考えてしまう。と言うかそれしか思いつかない。そんなに知識もないし・・・ 山田・吉田コンビの「たるしま」良いと思うのだけど。

テレビアニメとは絵も含めイメージは全然違ってよいので、独立した、完結した作品として、色々なエピソードを散りばめながら、言葉少なに表情としぐさで語って欲しい。

需要ないですかね?

 

あと入間先生、たるちゃんのその後のお話期待してます。

 

「安達としまむら」 10巻まで読了

安達としまむら」の小説10巻まで読み終わりました。まさに一気読みでした。

 

直後の感想としては、

良かった(語彙力)。いろいろと良かった。まだ完結してないけど・・ 予想していた展開とはちょっと違った感じのところもあったけど、内容も含め思った以上に読み応えがあり、期待のかなり上を行っていました。満足感一杯です。やっぱり活字って良い。情報量が映像より多いので、漠然としていたイメージが具体化される。そしてアニメの尺ではどうしても納めきれなかったエピソードや設定もわかり更に世界観に浸ることができる。

アニメを見てから原作の小説や漫画をみると、ガッカリとは言わないが、うーん・・何だかなと思う時も無きにしもあらずだが、安達としまむらに関しては、アニメを入口としてある程度のイメージを固めた上で、小説の世界、本格的なあだしまの世界に入れたことは、順番としても良かったのではないかなと思える。

 

気分が乗れば各巻の感想なども書いてみたいが、いつになるか分からないので、今回は感想をさわりだけ。

 

まずこれが最初で良いのか知らないが、小説のイラスト良すぎじゃないでしょうか?何ですかあれ? のんさんのイラスト素敵過ぎです。

私は電子書籍で買ったんですが、1巻の表紙から目を奪われてしまいました。巻頭のイラストも巻中のイラストも、どれもこれも魅力的。

アニメでも十分緩く可愛い感じはでていましたが、こちらは別格です。本編を読み出す前からあだしま小説への没入感マックスです。

なぜ9巻よりイラストレーターさんが変わってしまったんでしょうか。9巻はアニメの絵なんですかね?しまむらさんの髪の色が昔に戻ってびっくりしましたよ。10巻の絵は、こちらのイラストレーターさんも良かったです。

 

知我麻社さんについて。

ヤシロさん。ヤチーさん。アニメでは正直あまり存在する意味がわからなず、奇天烈なキャラだなあと思っていたが、小説では大活躍。物語の中で無くてはならないキャラクターでした。まだ自分の中で上手く表現する言葉があまり見つからないが、ヤチーさんについても一度ゆっくり考えてみたいと思わせる活躍ぶりでした。

 

日野と永藤について

こちらも小説の情報量になると、ちょくちょくとストーリーが挿入され、2人の関係の尊さが増します。永藤の自由さもアニメ以上に振り切っています。

永藤は何部なんでしょうかね・・・

 

本編の内容を避けていくと、ファーストインプレッションはこんな感じでしょうか。

ライトノベル、若者ではありませんが満喫できました。

 

安達としまむら

なんだかんだで、ちょくちょくとアニメを見る生活が継続しています。

いろいろ見ていると声優さんに馴染みの人やお気に入りの人が出てきたりもする。いい歳して恥ずかしいが・・・

 

そんなこんなで、お気に入りの声優さんがでているという理由から表題の「安達としまむら」も何の前情報もなしに視聴してみました。

 

第一印象としては・・・

 ゆるさが良い感じ

 適度に日常、適度にファンタジー

 登場人物がかわいいく内面も魅力的

 安達ちょっと怖い

 安達あやしい

 安達面倒くさい

ってな感じで、まあそれなりに楽しく1シーズン分をすんなり見ることができました。

 

ただ見終わった時の評価としては10点満点で6~7点と言う感じ。なんだか消化不良気味。キャラも、独特のゆるさとリアルさを含んだ世界観も気に入ったのに何か惜しい感じ。なんでだろう?

 

見終わってからしばらく考えた結果、単純にもっと見たい。1クールでは終わるのが早すぎ。もっと安達としまむらを(あと日野や永藤達も)見ていたい。もっとこの世界観、空気感に浸り続けたい。しまむら可愛いすぎ。といったとこでしょうか。いい歳して恥ずかしいけど。

 

という事でアニメの2期を切望してみるも、ググった範囲では未だ予定もなさそうな感じ。ついでに映画化も。

良い素材だと思うんだけどな。勿体ないなぁ。

 

そんな哀しい気持ちを抱えながらも、また新たなアニメを開拓していく。それでも、心の片隅にある「安達としまむら」の空白は埋められない日々が続く(ちょっと大げさ)。

そこでいい歳して恥ずかしいが原作のライトノベルなるものを読むことを決意する。

 

まあライトノベルなるものを読むのも2作目なので、滅茶苦茶恥ずかしいというほどでもないのだけれど。どうせ電子書籍版だし。

 

ただちょっと百合っぽいかもしれない?(この時はまだ先のストーリーは全然分っていない)ラノベなるものを、いい歳して読むのはあまり他言しない方が良いのだろうとは思った。

「火」が消えた

 

長い間灯し続けてきた火が消えてしまった

 

いろいろありながらも、なんとか守ってきた火が

 

考えてみれば、社会に出てからずっと「何者か」になりたくて、身の丈以上に感じる役割を演じてきたような気がする。身の丈に合わない役割も続けていれば、そのうち自分の身の丈に合ってくるのだろうと信じ、「何者」かになるために継続してきた。常に焦燥感と不安感を持ちながら。

しかしある程度歳を重ねると、自分の傾向や、得手不得手、またある分野での能力の限界が見えてくることがある。そして自分が望んでいた「何者か」にはなれないことに気付いていく。そうなった時、それを認めながらも、贖い抵抗し続けて生きていくのか、それを諦めて生きていくのかを選ばなければならない。

 

私は後者を選んだ。

 

自分が思い描いていた「何者か」が自分に向いていないであろうことは昔から分かっていたような気がする。それでも積み重ねていけば、次第に慣れ、成長していくものだと思っていた。それが大人になるという事で、人として全うな考え方だと思っていた。

しかしいつまだ経っても、どれだけ経験を重ね成長し、多少ばかりの地位を得ても、身の丈に合うような感じは訪れなかった。

立場が変わることにより、求められる基準が上がっていくために、そのような感じが続いていた訳ではなく、スタート時点から感じていた身の丈に合わない感じがずっと続いてきた。それでも身の丈に合っているように見えるよう努力はしてきたが。

 

決定的に足りないもの、努力では身につけられなかったもの、がある。

 

そしてその時の自分には絶対に必要なものでもあった。数年間その足りないものに気付きつつも、それを受け入れることに葛藤していた。

もしそれを自分が受け入れてしまったら何もかもが終わってしまう、音を立ててて崩れてしまう恐怖、不安。それを受け入れずに、自分の身と心を削りながら足りないものを補って生きていく苦痛。立場。地位。心と体。家族。収入。僅かながらのプライド。様々な感情が入り交じり、更に混沌としてゆく。

 

そこに正しい答えなんか無かった。

 

その時の立場、体調、精神状態、環境、気候、そして空気感すべてが複雑に絡み合い、その時はたまたまその答えを選択しただけだ。

 

結果として私は、社会的な負けを選んだ。追い詰められて駄目になる前に逃げた。

現実的に逃げた訳ではないが、概念的には確実に逃げた。

 

その時は自分の健康と、その健康の上に成り立つ家族の将来を第一に考え結論を出した。今思えば随分と追い詰められた極端な考え方だったと思う。0か100か。すべてを失う覚悟で、「身の丈」でも「何者か」でもなく「ただの自分」になるがために。

 

そしてすべてを吐き出した。

 

 

 

 

結局、私は今以前と殆ど変わらない場所にいる。

 

 

 

 

 

世の中は0か100ではないらしい。

社会は思いつめた私などが考えようもないくらい、色々なバランスの上に絶妙に成り立っている。

これが大人の世界というものなのか。

現実的に多くのものを失うことはなく、精神的に前よりは僅かながら身の丈に合った役割をこなしている。たぶん傍目から見たら120点以上の結果だ。

 

もちろん失ったものだってある。

限定的な範囲ではあるにしろ、これまでの実績(らしきもの)は失ったし、信用も失った。そして音を上げ、放り出したにも関わらず、私の役割の便宜を図ってくれた上に、以前とあまり変わらないポジションを敢えて用意してくれた人達に「魂」を抜かれた。

 

そして火が消えた。

 

以前とあまり変わらない場所にいるにも関わらず、見えている景色は全く違う。世界はゆっくり動き、色彩は薄れ、輪郭もぼやけている。

 

一度消えてしまった火は二度とつくことはない。

 

これで良かったと思うこともあれば、暗闇でずっと涙を流し続けたくなるような気持になることもある。消してしまった後悔ではなく、二度とつくことがない悲しさ、寂しさから。大した火ではなかったかもしれないが、私が私自身を燃やし続けて灯してきた火なのだから。

 

 

人生が終わってしまった訳ではない

再び火をつける時は必ず来る

しかしその火は消えてしまった「火」ではない

このレースの行方

どのくらい歩いてしまっただろう

もうそれさえわからない

 

これだけ歩いてしまってはもう勝負にならないはず

 

しかしゴールはどこにあるのかわからない

誰と争っているのかもわからない

 

今からでも走ったほうがよいのか

走ろうと思ったら走れるのか

このまま歩きつづけるのか

歩きつづけられるのか

それとも止まったほうがよいのか

 

わからないまま進みつづける